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ぶんがくあいどるろっくんろーる

「春の足跡 growin' up」譜久村聖 blt graph. vol.30 June 11, 2018

何よりもまずタイトル入りの顔面ドアップの1枚目、

の、次の写真。

見開きの2ページ目に置かれた2枚目。こちらも縦位置の1枚をまるまま1ページに使った贅沢なレイアウト。

遠目に立たせて全身を収めた立ち絵で、写真は周囲2㎝足らずを白フチが囲んでいて、簡易な額縁に入った絵画的な効果を見せる。

譜久村聖はゆったりした真紅のワンピース、腰が締まってるのがちょっと古代風。僅かに下からこちらを見上げてくる正面向きの顔を特徴づけるように、自然な、いや自然すぎる両手の力を抜いた棒立ち。

ゆたかな稜線を描いて落ち着く肩先と、登頂部を結ぶ二等辺三角形の美しいかたちが中心に据えられる。

そのシチュエーションは、しかし廃墟。

あらゆる期待を裏切って、被写体の若々しさに反して、あるいは、それら裏切られた効果よりも一層の鮮烈な表象に転じたという、どこまでも逆説的な場所としての廃墟だった。

講堂なのか小さめのホールなのか、練習室なのか、しかしさほど高くはない天井からして、病院の大部屋か。

奥行きのある室内で、自然に朽ちたような器物が散らかったままに並んだ窓から入ってくる光は浮いた埃に反射して奥に行くほど明るいような、ノスタルジックな色調を醸すが、ただ譜久村聖だけに絞られたピントは他の何物も明瞭な像を結ばずに散漫と、2重写しのようにぼけて重なっている。

この”風景”――不自然なほど精巧に作られた書割のような――と生身であり、生身以上に”生”を感じさせる艶めく若々しい被写体の、ドギツイ対比が素晴らしい。

頽落という言葉が似つかわしい、忘れられゆく、この場で時間を共有していたひとびとからさえも棄てられゆく一方のこの景色の中、存在を主張してやまない若々しい女性。

どこか非難がましい目でこっちを見つめる様は幼い子供のようだけれど、下ろした巻髪が垂れかかる白く無防備な肉付きに真っ赤な衣装よりも艶めかしい口元は年経たこの空間が乗り移ったかのように歳月の妙味が凝縮されている。

(この空間が、ひとの姿を取って記憶の中から現れ出たのかもしれない)

そのギャップがもたらす目眩、そして遠いところから微かに漂う馨しいノスタルジア

たぶんカメラマンは、彼女に少年の在りし日に抑圧された感情を代理させたのだ。彼女とは「役」なのであった。

記憶の中に封じ込めてなお、記憶を突き破って自我を貫き己を成り立たせる実存と禁欲の絡み合い。

続くスナップ写真は彼女に誘われるように戸外へとじょじょに降りてゆく。

室内のスナップから一転、

次のページは生地も爽やかな、高原風の白の衣裳に変われば、明るい外光のもとで無邪気に口を広げて笑いもする、またもやギャップ。

表情も明るい。

この二重性と、時系列的なレイアウトが暗示する、「解放」の表現もまた、肩透かし以上に、フロイト的な無意識の抑圧の表現として先の真っ赤な衣装があったんだと証拠立てているようだ。

過去は変えられない。過去は自我を精製する、何度でも。

そして過去はまた何度でもぼくたちの前に現れる。

季節のように。花のように。